天運 あとがき

天運 道は開ける                           嶋崎 八洲男


あとがき


 昭和63年の秋、・セブン-イレブン・ジャパンを退職した。
いまも思い出すが、渋谷区幡ケ谷に小さな事務所を構えた。小畑酒店のビル2階(7坪)。まだ仕事が決まっていなかったため、毎日、朝から晩まで新聞・雑誌を読んでいた。
 妻・静枝(現常務)も週3〜4回事務員としてすわっていた。
 本格的な仕事をしていないので、電話のベルが鳴るわけではない。
 静枝は「公文式」の教室をやっていたので、その仕事をやっていた。ときどきセールスマンが飛びこんできた。暇で退屈していた私は、かれらをつかまえて説明を聞きながら、時間をつぶしていた。
 静枝はお茶をいれながら「会社ゴッコは、もうやめたら…。就職でもしたら」といいはじめた。「3か月過ぎても仕事がないなら、やめるから、もう少し待ってくれ。自分のやりたいようにさせてくれ」と、私はいいつづけた。
 
 その後、東京のセブン-イレブン店舗100社以上を集めた会員制組織をつくり、基礎を築いた。やがてコンサルタント業、人材派遣業、よろずうけたまわり業(後の便利屋)などの仕事も順調にすすみ、(株)アーク警備システム、(株)アーク・ベンチャービジネス、(株)アークスタッフルを設立し、この25年間でアーク・グループは4社になった。
 グループの総従業員数は250人以上となり、平成25年5月には、千代田区岩本町に「岩本町小町食堂」をオープン。食堂事業は計8店舗(全店黒字)となった。
 八千代銀行幡ケ谷支店、三井住友銀行幡ケ谷支店、渋谷法人会、代々木警備業協会、取引業者、友人、知人、多くの人々に助けられ、励まされ、指導を受け、今日までやってこれたことに、ほんとうに感謝し、お礼の言葉もない。
 

 ふりかえってみると、私の「」はすばらしいものであった。
 22歳まで〝大病〟の連続で、短命かと思われた人生。静枝と結婚してから〝つき〟ががらりと変わり、病気ひとつしない健康なからだで、社長として会社を引っぱってくることができた。会社を休んだことがない。
 さらに平成24年の3月、息子・知実が4つの会社の社長を引きついでくれた。中小企業は跡継ぎ問題が多いと聞く。私はなんと〝〟の良い男だ。自分が思ったとおりの人生が不思議(5つの奇跡)なほどできている。
 会社設立の年から、海外旅行も欠かしたことがない。毎年、1月か2月の寒い月は、ハワイ、グアム、サイパン、タイ、マレーシアなどに、ゴルフ仲間と行っている。ことしもグアムに10日間。
 近くの畑を10坪借りて野菜をつくり、大根、レタス、キューリ、トマト、ナス、ピーマン、人参、白菜、ジャガイモ、モロヘイヤ…などを収穫している。
 毎朝、一番に採ったものを朝食でいただいてから出社。毎日曜日は静枝と近くのスポーツセンターで水泳をし、ゴルフには友人と会社関係で、月3回以上は出かけてリフレッシュしている。ほんとうに楽しい毎日である。
 

 前にも書いたが、静枝の実家が「日本淘道会」の淘祖様であったので、平成20年に私も入会させていただいたのは、この「幸運」をいつまでも持ち続けたいという思いであった。
 

 私の「運」を淘宮では〝持運〟というらしい。持運は時どきにより「運が良かったり、悪くなったりするものだ」とのこと。だから、修行をつづけることにより〝天運〟を得ることが大切とのこと。
天運」とは宇宙から得られた〝不動の運〟で、人はまさに夕べに死するその朝まで、一生淘宮の修行をつづけることで天運に守られる。
 私は〔5つの奇跡〕をいただいた運の良い男である。これからも4つの会社が社会に大きく貢献し、役立つために全力を傾注してゆく所存である。
 この本を読まれた方が─やればできる、努力すれば必ず道は開ける─とのプラス思考で壁にぶつかれば、必ず〝奇跡〟は顕れるのである。
 早朝より心を晴れやかにもち、天地万物に感謝し「陽発」につとむる人は、まさに道は開かれ〝天運〟を得るのである。

 

嶋崎八洲男 

 


平成25 年5 月オープンの小町食堂岩本町店は連日のにぎわいを見せている