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天運 第8章 第5の奇跡

天運 道は開ける                           嶋崎 八洲男


第8章  第5の奇跡

    だれもがあり得ぬ─。といった最高裁での最終勝利!
     

1   フランチャイズの理念が違っていた
2   東京オーナー会の会長に就任
3   小町食堂チェーンの出発
4   総額6千万円の損害賠償訴訟を起こされる

5   秘策はプロレスの「場外乱闘」

6   思惑通りに運ぶも、一審は敗訴

7  〝あげまん妻〟は勝利の秘訣 高裁[逆転勝訴]

8  『三国志』のように、小が大に勝った!

9   上告棄却! われ最終勝利せり

10  開運淘宮術に学ぶ

 
永遠の友らに囲まれて。前列中央が私


 

 食堂事業の前途に〝アカ信号〟が点滅し、東京オーナー会は大阪本部への不信をつのらせる。閉店する仲間も出はじめるが本部はなにもしてくれない。私は小町食堂チェーンを独立させて、戦うしかない! と決意した。地裁敗訴…高裁勝訴…そして最高裁での最終勝利…と業界沸騰の7年間が始まった。

 


1 フランチャイズの理念が違っていた


 話をもどそう。
 私の食堂事業は、こうして洋々たる前途に向けて出航したのだが、年を経ずして、当初の売上は徐々に落ちはじめた。この事情は他店も同様であり、そのころ、東京地区で「まいどおおきに食堂」を出店していた社長たち16人は、毎月集まって勉強会を開いていたが、ほとんど8割の店が赤字に転落するありさまであった。
 その原因はいくつか考えられるが、やはり本部の強力な指導・育成努力の不足・欠落が大きい。セブン-イレブン時代の経験からも、それはいえた。
 大阪と東京の市場(マーケット)の違いも、当然あったろう。大阪でつくられたフランチャイズのノウハウが、東京でも即通用するとはかぎらない。
 はじめて藤尾社長をたずねたとき、藤尾社長は「東京に進出するときは、変えるべきものは大胆に変えていく…」ともいってくれていた。当然、東京のマーケット・リサーチもしたはずであり、実行されない口約束は〝詐欺〟になりかねない。
 いずれにせよ、そうであればこそ、本部の責任は大きいということだが、フジオフードにもベンチャーリンクにも、その自覚は(認識も)皆無であった。
 社長たちの勉強会が、大阪の本部に対する不平不満の会同然となっていくのに、さほどの時間はかからなかった。
「6パーセントのロイヤルティを取っていながら、まったく指導がない」
「仕入れ原価も高すぎる」
「巡回指導者(SV)はほとんど来ない」
「売上が落ち、赤字が拡大してやっていけない」
「このままだと閉店せざるをえない」
 ─等々、社長たちの不満には、根拠も現実性もあった。
 私にとっても他人事ではなく、やがて勉強会内では、本部に自分たちの考えを伝えようとの機運が高まっていった。

 私のセブン-イレブン時代は週2回、加盟店をまわり、売上と利益を1円でも多く出せるよう知恵と汗を絞っていた。加盟店のオーナーは仲間であり、お得意さんであり、その共同体的な結びつきが、高収益を生む原動力であった。
 しかし、フジオフード大阪本部はまったく違っていた。
 経験を積んだ、経営感覚のあるSV の定期巡回など、想定外のようであり、たまに来る巡回も、若手の御用聞き同然であった。これでは指導とはいえなかった。
 セブン-イレブンで育った私は、フランチャイズチェーンは「共存共栄」により成り立つものと理解していたが、フジオフードにはそうした理念は皆無であった。
 あるのは、ただひたすら「自分の利益」の拡大・増殖であり、一見、業態は似ていても、そこには共通するなにものもなかった。
 それが大阪流─とは、私にはいまも到底考えられない。セブン-イレブンは大阪や関西地区でも、東京とおなじように成長・発展をつづけていたからである。
 いずれにせよ、そんな矢先に〝事件〟は起きた。
 平成15年4月、フジオフード大阪本部の命令により、加盟店全店に「全品目値下げ」の指示が出たのである。唐突感の否めない突然の指示であった。
 本部の狙いは明白である。客数増による売上のアップと、それにより利益を増す計画であった。加盟店は値下げ作業にも経費がかさみ、大変であった。
 しかし、加盟各店はいやいやながらも、実行せざるをえなかった。それがフランチャイズの宿命であった。
 結果は、翌月の実績にすぐに表れた。
 加盟店の5月からの売上は大幅にダウンしたのである。値下げにもかかわらず、客数はほとんど変わりなく、ただ客単価だけが下がって、売上は15パーセントもダウンする結果となった。
 仲間の多くの店では赤字が拡大し、当社も2店舗で200万円のダウン、赤字転落寸前となって、私は強い危機感を覚えはじめた。

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2 東京オーナー会の会長に就任

 尻に火がついたのである。
 東京の経営者の怒りは納まらず、デタラメな大阪本部に対抗するため、正式に「東京オーナー会」を組織した。初代会長には私がなり、大阪のフジオフード本部とベンチャーリンクの2社との対決姿勢が明確となった。
 私は会の代表として藤尾社長に数回面談し、東京オーナー会として4つの改善策を提案しつづけた。それは、
①ロイヤルティ6パーセントを3パーセントに減額すること
②仕入れ原価を1〜2パーセント至急下げること
③本部の費用で売上アップの販促チラシを打つこと
④毎月1回以上、店舗巡回指導教育者(SV)を巡回させ売上、利益を改善させること
 ─の4つであった。
 しかし、本部はまったくなにもしてくれなかった。面談でも、藤尾社長はいちいちうなずくのだが、具体策はなにひとつ語ろうとしなかった。
 ベンチャーリンクの副社長、増本氏ともアーク本社に来ていただき、同様の改善提案を話しあった。東京地区の「出店枠」売買を、直接担当しているのはベンチャーリンクだから、第一義的な責任は自明であった。
 しかし、「必ず改善します」といって帰りながら、増本氏もなにもしなかった。
 さすがに私は憮然として、怒りさえこみ上げてきた。
 その間にも、東京オーナー会の各社は16社中、6割が赤字転落で、6パーセントのロイヤルティ支払いさえ滞りはじめて、その不満はますます高まっていった。
 確実に「臨界点」が近づきつつあった。
 そうした状況に耐えきれず、飯田橋食堂が閉店することになった。東京オーナー会の仲間が、ついに1人(社)消えたのであった。動揺は広がった。
「東京オーナー会は独立しよう。大阪本部から脱退しよう」
 というオーナーたちが増えていった。私も加盟している意味がない以上、独立して食堂をつづけるしかない、という考えに立たざるをえなくなってきた。
 東京オーナー会の毎月の勉強会は「集団脱退」を考え、法律の問題や仕入れ業者、POS レジスターの会社などと、密かに打ち合わせを始めた。
 カギは「第31条」を、どう乗り越えるかにあった。
 フランチャイズチェーンに加盟すると、必ず立派な契約書を交わすことになる。
 そのなかの「第31条」に、本部脱退後、2年間は同じ食堂を経営してはいけないという『競業避止義務』が記入されている。
 この条文が加盟各店をしばっていた。
 これに違反したオーナーは、本部より加盟金の3倍の金額を請求されることになっており、結局、店側は、赤字続きでもロイヤルティを支払いながら経営をつづけるか、閉店、または倒産に追い込まれることが多いのであった。
 たとえば私の2店舗が脱退すると、この「第31条」に抵触し、加盟金500万円の3倍の1500万円、2店舗分で3千万円の違反金を請求されることになるのである。
 これが、東京オーナー会のもっとも恐れることであった。集団脱退をしようかどうしようか…私は思い悩んだ。

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3 小町食堂チェーンの出発

 そんなとき、東京オーナー会の動きがフランチャイズ専門誌『フランジャ』に大きく取り上げられた。フランチャイズの根幹にかかわる大事件であり、業界は騒然となった。
 …が、しかし、それでもなにも改善されなかった。
 本部としては、東京オーナー会には「どうせなにもできっこない」「集団行動をとるだけの度胸など、ない」「あっても、競業避止義務違反はぜったい崩せない」という、傲慢な思い上がりがあったのではなかろうか。
 もし少しでも「共存共栄」の理念があれば、または(たとえなくとも)そこに最低限の「互いにお得意様」のビジネスライクな意識があれば、なんらかのアクションがあって当然であった。
 そうしているうちにも、われわれの仲間─築地食堂、中野食堂、大久保食堂、市ヶ谷食堂、百人町食堂─等々が、次々と閉店に追いこまれていった。残った加盟店の大半は6パーセントのロイヤルティが払えず、滞納額は月を追って増えていった。
 平成16年秋、(株)池田測量が経営している「西葛西食堂」に対して、大阪のフジオフード本部は、滞納(約400万円)ロイヤルティの即時支払い請求裁判を起こしてきた。
 東京法律事務所(四谷)の神田高弁護士、坂本雅弥弁護士のお2人が、「食堂」側の弁護人として裁判を戦いはじめたが、しかし、その展望は明るいものではなかった。
 このように個別撃破のかたちで、裁判にもちこまれたら、おそらく勝ち目はない。東京オーナー会は将来に希望が持てなくなった。
 ここに来て、ついに私は決断した。
 平成17年5月31日、深夜零時に、新川食堂、幡ケ谷食堂の看板を「小町食堂」と変え、ここに独立した食堂経営をスタートさせたのである。
 本部から正式に脱退した。
 当然、大阪本部とのフランチャイズ契約「第31条(競業避止義務)」違反となり、「2店舗で3千万円」の賠償金支払い裁判を起こされることを覚悟しての決断であった。
 私に続いて、東京オーナー会メンバーの8割が脱退した。
 フランチャイズ業界始まって以来の「集団脱退」であった。
 この年の10月、われわれ4社(アーク、ニック、内田屋、佐藤染色)は先陣を切って大阪フジオフード本部と(株)ベンチャーリンクに対して損害賠償請求の裁判を起こした。「やられる前にやろう」との考えであり、その内容は、
①加盟金の返還
②ロイヤルティの返還
③競業避止義務違反には当たらない
 ─という主旨のもので、「総額9,272万円」の損害賠償を求めた集団訴訟であった。
 これが第一陣の裁判になった。2年後の平成19年3月には「全国被害者連絡会」も結成され、以下、集団訴訟は波状的に「第4次」までつづくのである。
 われわれの決断が全国に波及し、あるべきフランチャイズ・ビジネスの根幹を問うことにもなったわけだが、しかし、事はそう簡単(スムーズ)には運ばなかった…。

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4 総額6千万円の損害賠償訴訟を起こされる

 訴訟の相手は、250億円以上の売上を誇る上場企業のフジオフード本部と、300億円以上の売上があり、一部上場企業で、牛角、サンマルク、中古車のガリバー、陳麻家、ふらんす亭、ゴルフパートナー、女性フィットネスクラブ・カーブス、かつや─等をフランチャイズ展開している〝業界の巨人〟(株)ベンチャーリンクであった。
 しかも、相手の弁護団は20人、こちらは2人。いままで50社近くのフランチャイジー(加盟店)との裁判をやって、「一度も負けたことがない」という会社を相手の戦いの始まりであった。
 だれもが「無謀だ」「勝ち目はない」と考えていた。
 あの「第31条項」を突き崩す、よほどの論理や状況の提示でもあればべつだが、そんなものはどこにもない、との考えからであった。
 本部指導の欠落や〝詐欺的〟行為・言動による勧誘など、みんなが肌で感じている違反や無責任行為は、やまほどあった。
 そもそも6パーセントものロイヤルティからして、フランチャイズ業界の常識を超えた(2〜3パーセントが普通)ものであるのは、みなが知っていた。
 しかし、それに一度は同意し、押印したのは自分たちなのである。
 いまは4社の結束だけが頼みであった。
 6月に本部を脱退して2か月後、私は8月20日に「御徒町小町食堂」をオープンし、翌18年9月15日に「錦糸町小町食堂」をオープンするなど、矢継ぎ早の出店攻勢に出た。
 戦うと決めた以上、もはやどこにも遠慮は不要であった。
 攻勢が最大の防御であることは、戦争の常道であった。しかし…それら以上に、つねに前進・拡大を欲する私の事業家マインドが、(こうした後ろ向きのトラブルに)倦み疲れていたからなのかもしれない。
「小町のチェーン」は、計4店舗になった。
 大阪本部からは、即座に「競業避止義務」違反で、4店舗計6千万円の損害賠償が提訴された。
「やっぱり来たか、これは大変だ! …しかし、負けるわけにはいかない。2社を絶対にぶっつぶしてやる」
 と、私は心に決めた。
 こうして(楽しい…?)7年間の裁判の幕が切っておとされた。

 

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5 秘策はプロレスの「場外乱闘」

 いま「楽しい…?」と書いた。ふつうなら、ここは「苦しい」と書くべきだろう。日常のビジネスをこなし、何百人もの従業員をかかえながらの裁判が、私とて「楽しい」はずはない。7年間のそのエネルギーを、もし他にふりむけていたら…という疑問と仮説はいまもつきまとう。
 しかし、あえていえば、私は裁判までの数年間に、言語に絶する苦衷をあじわってきていた。その結論としての「裁判」には、もはや「苦しむ余地」はなかったのである。いかに勝つか、その戦略と方法は、どうすれば成り立つのか…。
 策を練り、シミュレーションをくりかえす私の頭脳はフル回転し、活力は全身にみなぎっていた。
 民事訴訟の一審には時間がかかる。なによりも事実関係の整理と把握に時間を費やすからだが、一人の判事が担当する案件の多さも、もちろん関係している。
 私はその時間の長さを利用しようと考えた。
 簡単に結論を出されては「困る」ということである。フランチャイズ規制法もなく、商法上の『競業避止義務』違反が厳然と存在する現状では、拙速な判断による結論は、なるほど本部側の「50社とやって、無敗…」(過去の裁判実績)とならざるをえないだろうからである。では、どうするか?
 私の秘策はプロレスの「場外乱闘」にあった。弁護士をたてた法廷内の正規の戦いとはべつに、法廷外(場外)に戦いの場所をつくることである。
 裁判を徹底して「社会問題化」しよう。
 法律の条文ではなく、世論・マスコミと人間の良識に訴えよう。
 全国に被害同志をつのり、それを組織し、その怨嗟の声を〝燎原の火〟と化そう。
 その〝炎〟の力をもって、裁判官にあるべき判断を迫ろう。
 …私の頭は、瞬時にして目まぐるしく回転しはじめた。
①東京オーナー会を戦いの中核とする。
②全国被害者連絡会を発足させる。
③「連絡会」のホームページをつくり、ネットによる情報発信をする。
 ─私はそう決めると、すぐ組織化にとりかかった。
 いわば革命の(またはゲリラ戦の)ためのオルグ(オルガナイザー=組織者・煽動者)である。
「ともに戦おう! あなたも騙されている」
「事実はこうだ あなたも裁判を!」
 私は、フジオフードとベンチャーリンクの加盟店500社に向けて、奮起をうながす檄文を、2か月に1度送りつづけた。マスコミ、新聞、フジオの大株主、出入業者…などにも送りつづけた。

 

 

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6 思惑通りに運ぶも、一審は敗訴

 私はじっさいに「オルグ」にも行った。
 北は北海道から南は九州まで。そしてハワイ、タイ、上海へと。加盟店のあるところ、世界中どこにでも足を運んだ。自分や仲間の実例をあげて具体的に、またフジオやベンチャーリンクの内情を、数字を交えながら、小学生にもわかる言葉でやさしくはなした。
 そして訴えたあとは、夜の歓楽街に繰り出し、なにもかも忘れてカラオケをうなった。(これが楽しくないはずがない!?)
 大阪のフジオ本社にも同志5人と抗議のチラシを撒きに行った。
 そのひとコマは「─連絡会」のホームページにも載っているが、われらは「必勝」の黄色いハチ巻きに横断幕をかかげ、警察官の見守るなか、道行くひとびとに2千枚のチラシを配った。
 マスコミへの事前連絡が功を奏してか、朝日新聞が取材に来てくれたが、残念ながらこのときは見るべき記事にはならなかった。
 しかし、この直接行動がフジオへの圧力にならなかったはずはない。
 先にも書いたように、フジオフードと藤尾正弘社長は、すでに大阪の食堂業界の有名人だったし、われわれの提訴までの「まいどおおきに食堂」は、市場(マーケット)に十分浸透していたからである。
 フジオはすぐに告訴してきた。「不法なビラ撒きの中止と、損害金1千万円」を求めたものだが、これは我らの「高裁逆転勝訴」の後の平成23年12月に、東京地裁により却下された。
 かくして〝場外乱闘〟(オルグ・宣伝活動)は、私の思惑どおりにすすみ、平成20年5月には加盟店9社による、総額3億2千万円の第2次集団訴訟が提訴され、翌年1月には同21社、8億円にのぼる第3次集団訴訟が提訴された。〝燎原の火〟は、各所に燃え盛る巨大な炎となったのである。
 この間には、フジオフード創業以来の施工受注業者である「富士設備工業」が破産(平成19年10月)し、翌年4月に、富士の管財人がフジオ本社に対する5億7千万円もの不当利益返還請求訴訟を起こしていた。
 その前年12月には、フジオフードの食堂経営委託先「プレステージダイナー」(東京赤坂、社長城谷晃氏)が倒産していた。フジオフードの経営実態は、その足下から暴露されはじめたのである。
 元フジオ社員の城谷晃氏は、大阪では〝プロ経営者〟の威名を取るほどの食堂経営のベテランで、その倒産劇は、フジオの悪評に拍車をかけた。
 もちろん、私は法廷闘争も軽視したわけではない。
 しかし、弁護士からもたらされる情報は、けっして安心できるものではなかった。最終弁論のまえに私は原告代表として5分間の陳述(主張)をし、「これは社会問題なのだ」と、強く訴えた。傍聴席は関係社の社員で満席となり、裁判官はたしかに「傾聴」してくれていたのだが…。
 平成21年1月27日、東京地裁はフジオフード側に軍配をあげた。私がすぐ控訴の決意をかためたことはいうまでもない。

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7 〝あげまん妻〟は勝利の秘訣 高裁[逆転勝訴]

 私はあらゆる〝策謀〟をつくして戦ってきたが、平成21年1月下旬、東京地方裁判所の判決が下された。
 東京地裁の豊澤佳弘裁判長は、われわれの主張・活動を無視して、一方的にベンチャーリンクとフジオフード側の主張を認め、原告4社に対して「競業避止義務違反」があったとして違約金総額8千400万円の支払いと、一社に営業停止を命じてきた。
 当社には6千万円の半分3千万円の支払い命令が出た。
 この時点で、われわれは全面敗訴となった。すぐ高等裁判所に控訴した。大阪フジオ本部はわれわれの財産(現金・預金)の差し押さえを始めた。
 4店舗出しているアークは、特に大変であった。銀行の現金・預金をすべて引き出し、毎日の入金もできず、毎日の売上金を巡回して回収したが、大変な作業となった。
「強制執行停止」のために、3千万円を供託金として用意した。常務の静枝も「頑張ってね」と1500万円を預金からおろして、用立ててくれた。これで心配なく高裁で戦えることになった。
「勝てない裁判は、もうやめたら…」と静枝がいえば、私の心も落ち込むところであったが、最高裁まで戦うと決めて裁判を始めたことであるから、本当にうれしかった。男にとって〝あげまんの妻〟をもつことは、勝利(成功)の秘訣である。
 現金3千万円を息子知実(現社長)と静枝、社員の泉の4人で法務局に運んだ。
 泉はいかつい顔の大男で、最もガードマンに向いている警備員であった。坂本雅弥弁護士が飛び回り、強制執行停止は2月4日付けで下された。
 高等裁判所での裁判が始まった。地裁で負けて高裁で勝つためには、新しい資料なり、勝てる材料がないと勝ち目はない。誰もが〝負け〟を考えていた。フジオ本部は全加盟店に高らかに〝勝利〟をPR していた。
「裁判は勝った。われわれが正しい」
 とファックスを送っていた。私は〝絶対に勝ってやる〟という気持ちは、いささかも衰えてはいなかった。
 地裁の判決文を、目を皿のようにして何度も読み返した。問題点・矛盾点を探した。やっと見つけた。
 私は勝負に出た。
 最後の一手を打った。「高等裁判所裁判長殿へ」と題して、10ページにわたった地裁判決の〝反論文〟を作り上げた。私のすべてをかけた反論文であった。
 この反論文を出して、それでも負けるのならしかたない。日本の裁判長の目は節穴だという強い決断をしていた。
 平成21年12月25日クリスマスの日、高裁での判決が言い渡される日が来た。
 私は負けるかもしれないと考え、京都の有力な仲間と今後の戦い方〝場外乱闘〟等についての打ち合わせのため、京都のホテルを手配して、東京高裁の法廷に出廷した。FC 専門誌『フランジャ』の川上社長も来ていただいた。
 高裁の法廷には多くの関係者が来ていた。午後1時15分開廷され、南敏文高裁裁判長は一気に判決文を読み上げた。早口で私は聞き取れず、地裁の判決と同じかなと、不安な思いで聞いていたが、神田弁護士が「勝った、我々の勝利だ。逆転の判決だ。素晴らしいことだ」と叫んでいた。

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8 『三国志』のように、小が大に勝った!

 何度も「本当ですか」と弁護士に確認し、やっと〝逆転大勝利〟の判決が出たことを理解した。フランチャイズ裁判史上あり得ないような画期的な判決が出たのだ。クリスマスの日、大きなプレゼントがもらえた。
「勝った、やっと勝ったのだ」
 私は飛び上がって喜んだ。5年間の戦いが報われた瞬間であった。すぐ静枝や関係者に「裁判は勝ったよ」と、喜びの電話をした。みな信じられない思いで聞いていた。
 その夜、京都のホテルにいた。〝負けた後の戦略〟打合せの会は、〝勝利のお祝い会〟となり、私は酒に酔っていた。京都のクリスマスの夜は、忘れられない夜となった。私の愛読書である『三国志』のように〝小が大に勝った〟瞬間であった。
「第5の奇跡」が起きた!
 その判決内容は、フジオ側に加盟金1千万円の返還と、経営指導義務違反でロイヤルティーの一部返還、「競業避止義務」に当たらず、詐欺的行為であったとして、総額4千710万円を支払うよう命じる判決であった。
 当然、翌日の日経新聞朝刊やFC専門誌『フランジャ』にも掲載され、そして週刊『ダイヤモンド』(2010年9月11日)に写真入りで私の記事が載った。

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9 上告棄却! われ最終勝利せり

 その後、フジオ・ベンチャー側は最高裁に上告すべく、4千710万円の供託申請をしたが、最高裁はこれを認めなかったため、われわれ側の神田弁護士に振り込んできた。これですべてが決着したかと喜んだのもつかの間、フジオ・ベンチャー側は最高裁に上告した。してやられたか?
 またまた最高裁で戦わなくてはいけないのか、と思いながら、戦いが始まった。
 一般的には最高裁で上告訴状を審議して、目新しい資料・材料が出ていなければ、受理しないという「上告棄却」が下りるのであるが、半年たっても、1年たっても出なかった。私は心配になった。弁護士も高裁に差し戻しとなれば、やや不利になるという。私はその対策を打つことにした。
 早く判決を出していただくよう署名活動を行い、700名の名簿を提出、そして最高裁判所入口で「早急に公平な判決を出してください」とのチラシ配布活動をした。
 平成24年3月12日、私と戦った一部上場会社の巨象ベンチャーリンクが倒産した。われわれが作ったホームページが大きな効力を発揮し、加盟店が激減したためであった。
 私の思った通りになった。「2社を倒す」という計画のひとつを達成することができた。私の作戦勝ちとなり、残るは大阪のフジオフードシステム1社となった。
 平成24年3月15日、最高裁判所裁判部訟廷首席書記補佐の植松実氏と面会し、一日も早く、上告不受理決定をしていただくようお願いをした。生まれて初めてお濠のそば、国立劇場の隣の最高裁判所の中に入った。まさに裁きの最高の府にふさわしい威風堂々たる建物である。ここで私の最後の大勝負が近づいてきた。
 最高裁の上告不受理決定、上告棄却が出ない不安から、私は大阪側のフジオフードシステムが提出した最高裁判所への「上告理由書」を、目を皿のようにして読んでみた。その中に閉店した直営店がいまも運営されている記述を見つけた。
 ─最高裁判所裁判長殿─ 「最高裁判所裁判長をもだまそうとする、卑劣な(株)フジオフードシステムと(株)ベンチャーリンク」

 というタイトルで、7ページの檄文を提出した。
 この文面を書き終えたとき、私は完全な勝利を確信した。
 2年にわたる最高裁の戦いは、平成24年7月13日に、大橋正春裁判長から判決が出た。
         主文  本件上告を棄却する。
             本件を上告審として受理しない。

 私の闘争は、7年にして完全勝利をおさめた。
「第5の奇跡」が起きた瞬間であった。裁判を闘った多くの人々、弁護士の方々と祝杯を上げた。なんと美味しい酒であるか。応援してくださった方々に感謝したい。
 その年の12月25日、私は新宿の中華レストラン2階で、7年間戦った(株)フジオフードシステムの社長藤尾正弘氏と握手をかわし、歓談していた。藤尾社長から「是非お会いしたい」とのことで出席した。
 互いに裁判の〝サの字〟も話題にしなかったが、それなりのひと時を過ごした。
 私は、飲食業を経営するものが、裁判などで争ってはいけない、われわれには、美味しい料理を笑顔で提供する大切な使命があると思っている。飲食業界で名を馳せたフジオフードシステムの藤尾社長に、その私の思いを本当は伝えたかった。
 早く他の裁判を解決してほしいと、切に願っている。
 平成25年5月1日、岩本町小町食堂のオープニングセレモニーが17時から開かれた。多くのお客様をお迎えし、私は24時間年中無休の小町食堂出店を加速させ、社会に貢献したい、地域のみなさまに喜んでもらいたいと挨拶した。
 (株)フジオフードシステムの加盟店から出発した小町食堂は順調に伸び、8店舗目、毎日400人のお客様にご来店いただき、〝役立つ小町〟になっている。
 地域に密着した小町、安全・安心で町に貢献する(株)アーク警備システム、そして少子高齢化社会に役立つ便利屋事業、すべてが我社の理念「真心のこもった奉仕の精神でおもてなし、お客様に最大の満足を提供し続ける会社である」の発露であり、従業員一同、毎日唱和し、社会に役立つ会社でありたいと頑張っている。
 新たに5年後の上場企業をめざして、夢の一歩がスタートした。私の事業家30年の節目であり、息子(社長の知実)はその時、不惑の働き盛りを迎えている。
 関係各位のみなさまのご指導・ご鞭撻を心よりお願い申しあげます。

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10 開運淘宮術に学ぶ

 すべてが終わったあと、開運淘宮術の修行の場で、
「よかったじゃないですか」
 と、私は声をかけられた。
 平成21年2月の入門以来、私には、つねにある種のコンプレックスが付きまとっていたのだ。それは、経営者・事業家という、日々利益を追い、絶えざる競争と戦いのなかにある自分に、はたして「淘道」は究め得るものなのか、ということであった。
 淘道は心を鎮め、おのれを発見し、つねに平安の境地を得んとする精神修養である。その真摯な方々のその末席を、こんな自分が汚してもよいものなのか。
 だから、師のこの言葉は意外でもあった。
 そのときも私は、未曾有の長期裁判を戦い終わった自分と淘道の教えとの「距離」を、心中で計りかねていたのであった。
 この7年間は、はたして淘道の教えにかなっていたのか。その行動は、一修行者・修養者として正しかったのか。
 師はどういう意味で、あのとき、私に、ああいわれたのか─。
 疑問の解けぬまま、次にお会いしたとき、師は、
「すべては淘宮のおかげですよ」
 といわれた。
「そうか、そうだったのか」
 と私は合点した。
 淘祖・横山丸三師から何代・何百年にもわたり、横山家の方々の修行・修養はつづいてきた。妻・静枝はその淘ぎ澄まされた血脈の裔として、いま、私の傍らにいるのだ。
 静枝の父君も母君も、そのまた祖の方々も、歴史の風雪に耐えて、ひたすら修行・修養をしてこられた。そのまわりには、無数のこころざしを共にする方々がおられた。そうしたすべての方々の修行・修養の賜物として、私の「勝利」もまたあったのではないか。
 …そうか、私は守られていたのだ!
 私は豁然と目のさめる思いであった。
 だとすれば、私にはただ「感謝」しかない。いよいよ身を清め、心をさらに直くして修行・修養に精進するよりほかにない。
 人生最大の難所にあって、私は「第5の奇跡」を得た。しかし、その瞬間から、私の新たな「いま、ここ」は始まっている。一瞬一瞬、よみがえり、生まれ変わり、転変する時は、私の心を変容させてやまない。
 淘道の修行・修養は一生なのだ。

 

一般社団法人 日本淘道会


〒112-0005 東京都文京区水道2 丁目17 番1 号(淘道会館)
[電話/ FAX] 03-3811-0589
[URL]http://www.toudoukai.or.jp/index.html

 

❖理事長   飯塚幸三

 

▪沿革
天源淘宮学の発表 1834 年(天保5 年)
開運淘宮術と改称 1845 年(弘化2 年)
淘宮連盟の設立 1938 年(昭和13 年)
社団法人日本淘道会の設立 1944 年(昭和19 年)5 月31 日
一般社団法人日本淘道会に移行 2012 年(平成24 年)4 月1 日
監督官庁(現在) 文部科学省生涯学習政策局社会教育課

(定款、事業報告書などは上記URL でご覧になれます)

 

▪本部会館/事務局 所在地

※休館日は不定期とさせていただきます
(各種行事と淘席の一部をここで開催)

地図