天運 第7章 第4の奇跡

天運 道は開ける                           嶋崎 八洲男


第7章  第4の奇跡

    幸運の女神が微笑んで、食堂事業への進出を後押ししてくれた!
     

1   高齢者でもできる日銭商売はないか
2  「第4の奇跡」で1億円の資金を獲得
3   中央区新川に第1号店を開く
4   ミャンマーとの縁で新たなビジネスが始まる

 


 

 

 


 

 警備業の資金繰りに苦労しつつ、高齢者でもできる日銭商売を探していた私は、大阪の「まいどおおきに食堂」に出会う。第4の奇跡が起こり…新たに1億円の元手が! 中央区新川の第1号店は驚異的な売上、幡ケ谷の第2号店も大繁盛。中国、韓国、ミャンマーからの従業員もふえつづけた。その矢先─。

 


1 高齢者でもできる日銭商売はないか

 平成12年のころ、この不景気のなかでアーク警備システムの業績は、驚異的に伸びていたが、警備員の人数がふえ、給与支払いなどで資金繰りは大変になってきた。
 警備員への給料は当月払いだが、建築会社からの入金は2か月先である。
 さらに、取引先が一部上場会社だからと、安心して取り引きしたところが、突然、倒産し、入金がないなどの思わぬ事態も起きて、会社の資金繰りは毎月、大変であった。
 資金不足のときは、私の預金を引き出し、充当して、給与を遅配させない努力をつづけていた。
 もうひとつの問題は、警備員の高齢化であった。
 若手が入社せず、50歳、60歳の従業員が多かった。警備員の高齢化がすすみ、仕事ができなくなったものに、次の職場をつくっておきたい。そう考えた私は、高齢者でもできる「日銭商売」を、新しいビジネスとして探すことにした。
 頭に浮かんだのは飲食業であった。
 私は魚料理やごはん、みそ汁などの和食が大好きだった。早速、当時、東京に35店舗を展開していた「ごはん処 大戸屋」(社長三森久寛氏)を見学した。店内はきれいで、若い女性従業員が活躍し、客入りも相応だったが、「自分が考えている店とは違うな」と感じた。
 これからは少子高齢化社会になる時代、やはり〝おじちゃん〟や〝おばちゃん〟達でできる飲食店がいいだろうと考えていた。
 ある朝、日経新聞を見ていると、ひとつの記事が目に飛びこんできた。
「~高齢者でもできる和食の食堂 フランチャイズ展開 素人でもでき、パート従業員のおばちゃん、おじちゃんで経営し、高収益商売 まいどおおきに食堂~」である。
 大阪の(株)フジオフードシステム(ジャスダック上場、社長藤尾正弘氏)と、─ベンチャーリンク(一部上場、社長小林忠嗣氏)が共同で運営するフランチャイズ本部であった。自分の考えている商売にぴったりだと直感した。
 すぐ妻の静枝(現常務取締役)と大阪に飛んで見学してまわった。
 新大阪に着くと、フジオフードシステムの幹部社員数名が迎えに来てくれていた。
 車で「まいどおおきに新大阪駅前食堂」など5店舗を見学した。薄暗く汚れた店舗で、60歳以上のおばちゃんたちが、「いらっしゃい」と笑顔で迎えてくれる。
 あまり「きれい」とはいえない陳列ケースや平台に、惣菜がずらりと並んでいた。
 サンマ、煮鯖、焼き鯖、コロッケ、肉ジャガ、すき焼き、マカロニサラダ、納豆、ひじき、南京煮、冷奴、キンピラ、鶏のから揚げ…等々。壁には、その食堂の雰囲気によく似合ったプライスカードが貼ってあった。(後でわかったが、藤尾社長がすべて自分で書いていたとのことだった)。
 静枝とご飯、みそ汁、焼き鯖や煮鯖、肉ジャガ等を取って食べてみた。関西の薄味で料理ができていた。おいしかった。特に煮鯖がおいしかった。
 しかし、外に出るとすぐに静枝は「がっかりネ。あなたはこんな店を経営するつもり?私は反対よ」と口に出した。
 じつは、そのときは私もそう思った。
 何軒かの見学が終了し、「社長と面談してください」という社員に連れられて、(株)フジオフードシステムの本社に行った。
 藤尾社長は、すでに大阪の飲食業界では有名な人で、食堂や串揚げ、インドルー、うどん屋など、多業態の直営店を経営する〝知る人ぞ知る名士〟であった。はじめての印象はとてもやさしそうで、食べ物に対しての強い情熱をもっているようだった。
 藤尾社長は「嶋崎さん、どうして食堂に関心を持たれたのですか」と聞いてきた。
 私は「高齢者でもできる食堂の日銭商売がしたい。警備員の高齢化がすすみ、警備ができなくなったものにも、できる商売を探しているのです」と話した。
 藤尾社長はうなずき、
「ぜひ当社のフランチャイズに加盟してください。素人でもできますよ。本部のSV(指導員)が巡回し、儲かるように指導しますから、安心して加盟してください」といい、重ねて「東京に出店するときは、いまの店舗を明るく、きれいにして〝東京にマッチした食堂〟にしますから期待してください」ともいった。
 私は「検討します」といい残して東京に帰ってきた。(このとき、藤尾社長との10年にわたる戦いが始まろうとは、知るよしもなかったが…)。

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2 「第4の奇跡」で1億円の資金を獲得

 大阪から東京に帰ると、すぐに(株)ベンチャーリンク(一部上場会社)の営業ウーマン鴨沢女史が飛んできた。「まいどおおきに食堂」の東京加盟店の勧誘代行をしている会社であった。
「嶋崎社長には2枠加盟してください。1枠500万円で2枠1千万円。1店舗の加盟では利益も少なく、多店舗展開なら利益も多くなり、メリットも大きいですよ。都内で最も食堂にマッチした場所は、中央線荻窪駅の北と南です。早く押さえてください。でないと他社さんに取られてしまいますよ」とのことであった。
 私の心は大きく動いた。
 2店舗を同時開業させるには加盟金、保証金、施工費用等を含めて9千万円くらいかかるとのことであった。「赤字経営になったら、大変なことになるな」と思いながらも、警備員の新たな職場をどうしてもつくらなければならないと、私の心は加盟の方向に大きく傾きはじめていた。
 そんなある日、駅の売店で何気なく証券新聞を買って車内で開くと、1面に大きく(株)ベンチャーリンクの記事が出ている。幅広く牛角、サンマルク、ガリバーといったフランチャイズを展開し、高収益を上げている会社とのことであった。
 数日後、再び買った証券新聞の1面に、また大きく同社の記事が載っていた。一瞬、私は神が「ベンチャーリンクの株を買いなさい…」とささやいているような気がした。
 翌日、同社の株価を調べた。
 600円であった。単位は100株で、最低金額が6万円であった。すぐ東洋証券に電話をして5千株を買った。約300万円の投資であった。1か月後さらに5千株の買い増しをし、私の持株数は1万株になった。(この段階ではまだあまり動いておらず、投資額総計は約600万円)。
 ところがである。2か月が過ぎたころから、株価は毎日ストップ高(制限一杯の値上がり)がつづきはじめた。業界も大いに沸いて、600円で買った株は、あっというまに1万円になって、私の持株評価額は1億円になっていた。
 これには驚いた。
 私には〝幸運の女神〟がついているのを強く感じた。
「第4の奇跡」が起きたのだ。素晴らしい人生だ!
 この資金があれば、新規事業は大丈夫だ。そう考えた私は平成12年5月、荻窪北と南の2枠を買って加盟金の1千万円を支払い、正式に(株)フジオフードシステムの「まいどおおきに食堂」の加盟店になった。
 さっそく荻窪北と南の不動産屋に、「食堂を開きたいので、道路に面した1階で30坪の物件はありませんか」と訪ねてまわった。
 ところが不動産屋から返ってきた答えは、どこも「紹介できる物件はありません。ま、3~4年は見込めないでしょう」というものであった。
 予想もしなかった事態に、お先真っ暗になってしまった。不安が胸をよぎる…。

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3 中央区新川に第1号店を開く

 私は足を棒にして40軒もの不動産屋をまわった。しかし、答えはみな同じで、
「アークさんは無名ですから、たとえ物件が出ても他の大手チェーン、マックやドトールコーヒーにもって行かれるでしょう」ということであった。
 私は、だまされたか…との疑念とともに、「素人でもできる」「物件はベンチャーリンクで紹介します」といった甘い言葉に乗った自分を責めた。
 すでに2人の店長候補に辞令を出し、フジオフードにも1か月間60万円の研修費を支払っていた。ホテル代だけでも40万円である。毎月2人の給料も40万円になる。早く店を出したい…。
 私は毎日、荻窪の不動産屋に通いつめた。
 半年もあっというまに過ぎたころ、大阪本部の藤尾社長が東京に来ていたので、お会いし胸の内を語った。
「物件がなくて困っています」という私の相談に、藤尾社長は「荻窪地区にこだわる必要はありません。都内のどこかほかの場所に良い物件が出たら、そちらに移ってもいいですよ。ベンチャーリンクに協力させましょう」といってくれた。
 そして平成12年秋、ベンチャーリンクの堀越営業マンが、中央区新川2丁目の物件を紹介してきた。2丁目交差点近くのそば屋であった。
 …2人の店長が、すでに首を長くして待っている。どこでもよい。早く出店したいという気持ちだった。
 ベンチャーリンクに、物件調査費60万円を支払った。
 同社による調査では、立地は〝A ランク〟となっていた。しかし、私が朝昼夜と見に行くと、昼間はサラリーマンが多かったが、夕方は人がほとんど歩いていなかった。
 事情は土日も同様であり、私は不安になった。
 それでも、あせる気持ちが背中を押した。売上予測を「月400万円」と決めて、出店を決断した。私と妻の静枝(常務取締役)がそば屋の家主、桜井さんとお会いし、契約を交わすことができた。
 1階が20坪(厨房を含む)、地下1階10坪の計30坪であった。倉庫と事務所が地下になるのは、やや抵抗があったがしかたがない。
 すぐに、フジオフードシステム指定業者の「富士設備」が工事にはいった。私にとってのはじめての飲食店出店であったため、見積もりも先方にいわれるままで、総額で4千500万円かかった。
 平成13年2月26日、ついに「まいどおおきに新川食堂」がオープンした。
 わが社の第1号店である。
 客入りは途絶えず、昼間は行列をなすいきおいであった。それまでの経験にない、飲食業のスピーディな反応に、目を見張る思いであった。
 月売上は、予測を大きく超えて 900万円である! 
 予測値の2倍以上のうれしい誤算。開店して数か月間、店長の春山ひろし君は家にも帰れず、店内で寝起きしては年中無休、24時間営業の店を切りまわしてくれた。
 春山ひろし君のことは前章にふれた。
 かれのおかげで、わがアーク警備システムは軌道に乗ったのであった。
 いま、またかれの奮闘を目の当たりにし、私はかれとの不思議な〝えにし〟を、改めて感ぜざるをえなかった。それは、いうまでもなく「わが人生の不思議さ」ということでもあったのだが…。
 私は、そのときもまだ「現場の一警備員」として働いていたが、警備の現場が終わってから店に駆けつけ、妻静枝もまた皿洗いや後片付けに夜遅くまで手伝ってくれるなど、忘れることのできない─私の〔疾風怒濤〕─その後─のひと幕である。 
 うれしい悲鳴がつづいていた。
 聞けば、この物件は数社が紹介を受けながら「立地が悪い」といって断ったいわくつきの物件であった。そこに、あせった私が飛びついたわけだが、結果として、神は私に最高の贈り物をくださったのだ。
 やはり私には幸運がついているのか…。戻る

 

4 ミャンマーとの縁で新たなビジネスが始まる

 ほどなく、新川店は月商1千万円になった。
 パートさんの採用が追いつかず、毎日てんてこ舞いの大忙しさである。そんなときベンチャーリンクの営業マン堀越氏が、当社(渋谷区幡ケ谷)のすぐ近く、幡ケ谷2丁目の物件を紹介してきた。
 会社からも近いという魅力もあって、すぐに契約し、「まいどおおきに幡ケ谷食堂」の着工を進めた。
ところが、40坪の工事が順調に運んでいると思われたころ、渋谷区建築課の担当者から「違反建築であるから、すぐに中止せよ」との命令が出た。
 なんのことかまったくわからなかったが、話を聞くと、このビルを建てるとき、家主が40坪の半分を駐輪場として申請し、完成させた新築物件であったが、ベンチャーリンクがこの事実を隠して当社にもちこみ、工事が始まったことがわかった。(後日この事実は裁判での争点となる)。
 一部上場会社ベンチャーリンクのいい加減さが早くも露呈したわけだが、しかし、ほかに代わる物件はおいそれと見つかるはずもなく、もめにもめた末に、結局バックルームなしの20坪で工事を行い、同年6月のオープンにこぎ着けた。
 新川店と同様、目新しい店舗ということで月商は900万円以上、1日の客数300人以上という盛況ぶりで、早くも年商は2億円に達した。
 その一方で、警備業も拡大をつづけ、食堂、警備とも人手不足に大変悩まされていた。
 店舗内外はもとより、駅のポスターなど人材採用に手を尽くしていたが、そんななかで、ミャンマー女性「ビャック」との出会いも起きた。
 ビャックは軍政時代、民主化の盟主アウン・サン・スー・チーさんを応援していた家族の一員だったため、祖国を逃れるように日本に渡ってきた「難民」であった。
 日本語は片言しかできなかったが、人手不足のなか、幡ケ谷店で働いてもらおうと採用し、毎日「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」を、100回練習してくるように指示した。
 じつに頑張り屋で、日本語も日に日に上達し、調理ばかりでなく接客もこなせるようになった。そうなると自分でも自信がついてきたのだろう。同様の境遇にあるミャンマーの仲間を次々と紹介してくれて、私は大変助けられた。
 このうちの1人は、かわいいサイちゃん、2~3年前にNHK のドラマに主演女優として出演していたのには驚き、また誇らしくもあった。
 ビャック、サイちゃん、ハニーちゃんたち数人は、毎日よく働いてくれたが、ある日、入管(出入国管理事務所)に捕まってしまった。
 常務の静枝が大変心配し、警察に出向いては毎日、差し入れや励ましをし、また早く釈放されるようにと努力した。その甲斐もあって、彼女たちはやがて釈放された。
 みんなは、またアークの食堂で働きたいと帰ってきてくれた。
 ビャックはアークの社員となり、なくてはならない人材となっていった。平成24年春、同じミャンマーの青年と結婚した。私が保証人となり、日本の永住ビザを取ることができた。
 知ってのとおり、いまミャンマーは急速に民主化に向かっており、日本との貿易は急激に拡大しようとしている。早晩、経済界・産業界をあげて「バスに乗り遅れるな」のブームがくることはまちがいない。
 ビャックさん夫婦も、日本の中古車をミャンマーで販売する会社をつくりたいと相談に来たため、私は全面的に協力することとなり、現在その準備にはいっている。

 

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働く仲間と
働く仲間と。私もどこか初々しい(前列中央)

  小町食堂
男小町…女小町…の中で(前列左は妻・静枝)